日々、チームについて思うこと

スタートアップで働いている女子の日記

テンプレートと言う共通言語とコストを払う側の話

テンプレートとかフォーマットとか、そういうものを、ちゃんと作って仕事をしている企業って、どのくらいあるんでしょうか?意外と大事だったりするなーと痛感しています。

業務日報や議事録を個々が好き勝手に書き始めると、書き手側は楽ですが、読み手側がめちゃくちゃ読み辛い!という現象が起こります。相手に行動をお願いする際は、お願いする側、情報を渡す側がコストを支払うべきなのだと思います。どういうふうに書けば伝わるか、動いてもらえるか…そんな当たり前を我々はすぐ忘れます。

だから、テンプレートです。型が大事です。私が誰かに何かを依頼するとき、良く使うのは

「課題(目的)」「背景(経緯)」「解決策」「お願い」「スケジュール」

という項目のセットです。 例えばこんな感じです。

課題(目的)

バグが発生していてお客様からクレームがきた

背景(経緯)

特定のアイコンをクリックする場合のみ、画面が切り替わらない。

XXXのサブドメイン内、複数のユーザーで発生している。

解決策

調査〜

お願い

解決策の有無、解決目処を教えてください。

スケジュール

お客様に折り返し連絡しますので、今日15時までに状況を共有してください。

明確な解決目処がなくてもOKです。

 

書いて、わかりやすいな―と自画自賛します。こんな感じで渡すと、お互いラクチンですね。そして、最近、結論として気づいたのは、テンプレートやフォーマットって共通言語なのだ!ということです。

共通言語とは、お互いが共通で認識できるものを指します。まさにこれです。どこを共有してどこを決めればいいんだっけ?をお互いが認識しやすい。瞬時に認識できる。

目的に沿ってマイナーチェンジは必要ですが、テンプレートとかフォーマットとか大事ですよね〜

CEOは孤独な生き物っぽい

Wantedlyの仲さんが「仲良しの独裁主義」がスタートアップの成功の鍵だと言っていて、とても納得した。スピードが命のスタートアップにとって、民主主義の意思決定は致命的。しかし、個人主義ではリソースがないから生き残れない。総和で勝負しないといけない。そうすると、ある程度、集合知で勝負しながら責任者を立てて、ここというタイミングでは独裁政治を行うのは、とても理にかなっている。

当たり前といえば当たり前なのですが、この責任と決断のバランスが崩れているのが大手の中間管理職なのだと思います。決済権があるのに、あまり責任を追うことがない。ハンコの欄はたくさんあるから、私の責任は One of them 状態。

 

だけれど、逆に責任感が強すぎるのも問題なのだと最近、感じるところです。CEOを除き、取締役(CXOとかも含めて)で責任感が強すぎると潰れる。自身の判断に対して、ミスはあるものだという認識を持っている人じゃないと戦えない。だってスタートアップなんて失敗ばっかなんだから。そういう認識を持つ余裕ってどこから生まれるのかを考えると、恐らく2つだと思います。

ひとつは、自分の下のメンバー。つまり、判断材料となる意見をくれる人たち。この人(責任者)の判断を信じる、失敗しても、もう一度、この人のために意見を出す…というセーフティネットがあるか。

もう一つは、CEO。トップが失敗を許容できないと、潰れます。成果が出ないことに対して、激しくつめる。怒鳴る。これは売りが立たない時期のスタートアップあるあるです。つめてもいいけど、なぜ失敗したのかを、しっかり振り返り共有することの方が大事なんです。今回の損失額分の学びがあったか。そういう意味での赤か黒かを議論するべきなんですよね。で、赤なら怒鳴ればいいと思う笑

 

そう思うと、CEOって責任が重く(最高責任者だから当たり前ですが)ただただ孤独。下からの信頼は、他の責任者のそれより遥かに重く、最悪、下した決断で会社が潰れることもある。社員の家族まで預かっているようなもんです。そして、組織上、自分の上には誰もいないから、誰も許してくれないし、褒めてくれない。これは、スタートアップ関係なく、どの企業でも同じでしょう。

 

そして、社員は「社長が孤独」ということを知っておくことが大事なのだろうなと思うのです。社長が働いてないように見えても、彼、彼女らは重責と対峙しているから、役割が違うのだ。社員ができる恩返しは、きっと業績という形しかない。

届いた言葉は他人の中でずっと生きている

5年の歳月を経て「晴山さんのダメ出しがなかったら、腐ってました」と元職場の後輩から嬉しい言葉をもらう出来事が発生しました。

今回改めて、あの時、届けた言葉が生きているんだなと実感できて、感無量でした。もともと「誰」が言ったかではなく、誰かの声がチームの声になり、チームが進むべき方向を見失わずにすんで、結果的に第三者から評価を受けることができたら、その喜びだけで私は十分というスタンスで仕事をしています。

だから、私が発した言葉の「言葉」にだけ効力があれば良いんですけど、ふと振り返ったときに「晴山さんがくれた一言が…」って言われると、やっぱり嬉しくなります。意外と言葉はちゃんと届いていて、人は覚えていてくれて、浸透しているんですね。(言った本人は何言ったか覚えてないんだけど)そして、その浸透したものが形を変えて、別の誰かに浸透していってくれたら、嬉しいかもしれない。

 

良いチームってなんだろうな…と、日々考えているのですが、

一人の経験、体験が言葉となって他のメンバーへ届き、メンバーの知識になって、また誰かに伝わっていく

そういうチームは素敵なチームだと言えそうです。私は、組織やチームにおける無関心が大嫌いで、同じ目標や目的を持っているのに共有や協力ができない環境に気持ち悪さを覚える性格です。諦めも悪いので、一生懸命言葉を紡ぐし、気づきを与えようとするし、言葉をもらいたいともがき続けてきました。究極のおせっかい笑

職場を3回変えていますが、どこでも同じように過ごしてきました。厄介だと思われることも多々あったけど、こうして時間を置いて素敵な贈り物をもらえているので、往生際が悪いのも案外悪くないかもしれませんね!

半分以上、不正解の仕事

スタートアップに転職してみて物忘れも激しくなってきたので、日記代わりにブログを書こうと思います。 

スタートアップといっても、どのフェーズかで体験も変わってくるのだと思います。
私は、ITツールを開発しているスタートアップの正式なプロダクトローンチ後のタイミングでジョインしており、ビジネスサイド(開発以外の業務請負部署)の立ち上げをやっています。新規事業開発部顔負け、0→1の戦いの最中です。0→1とか書くととてもかっこ良いのですが、簡単に言えば、正解がない仕事しかなく、半分以上、不正解を引きますので、かっこ悪いです。


普通の企業では先人がやってきた仕事があり、それをアレンジしたり改善すればいいわけなんですが、スタートアップの立ち上げ期はそうではありません。この不正解地獄に悩むと、まず続かないです。HOWに正解がないので、とにかく試す、失敗する、学ぶ、また試すの繰り返し。組織の中で誰も正解を知らないから、喧嘩も日常茶飯事です。そういう中で生き残るには、「失敗を恐れない人格」と「失敗を許容する組織文化」があるかなのだと気が付きました。


リーンスタートアップという方法論をご存知でしょうか。私は恥ずかしながら、今の会社に入るまで知りませんでした。必要最低限の製品を出し、ユーザーの声(結果)から軌道修正を図るという工程を高速で繰り返すことで無駄と無価値な要素を最低限に抑えて事業をグロースさせる手法です。
これは個々の業務レベルでも同じなので、失敗から学び(PDCAのC)次の行動をとり、また学ぶことが正解へ繋がる唯一の道となります。この前提が組織に所属する各個人の認識として揃っていると、組織として失敗に対してはポジティブな評価をすることができるようになります。そして、学びの結果であれば(また不正解を引いたとしても)、何をやっても許されるという組織になっていきます。面白いのです。

その代わり、学びの部分は強烈に問われます。何が原因で失敗しているのか、それは内的要因か外的要因か、本当に事実なのか、いま失敗だと判断するベストのタイミングなのか…そして恐らく、スタートアップでの最大の罪は「何もしないこと」です。

 

自分の学びも短期間で圧倒的に増えるので、スタートアップで働くことはおすすめです。自分の変化が、とても面白いと感じられる人には向いています。

リーン・スタートアップ

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