日々、チームについて思うこと

スタートアップで働いている女子の日記

届いた言葉は他人の中でずっと生きている

5年の歳月を経て「晴山さんのダメ出しがなかったら、腐ってました」と元職場の後輩から嬉しい言葉をもらう出来事が発生しました。

今回改めて、あの時、届けた言葉が生きているんだなと実感できて、感無量でした。もともと「誰」が言ったかではなく、誰かの声がチームの声になり、チームが進むべき方向を見失わずにすんで、結果的に第三者から評価を受けることができたら、その喜びだけで私は十分というスタンスで仕事をしています。

だから、私が発した言葉の「言葉」にだけ効力があれば良いんですけど、ふと振り返ったときに「晴山さんがくれた一言が…」って言われると、やっぱり嬉しくなります。意外と言葉はちゃんと届いていて、人は覚えていてくれて、浸透しているんですね。(言った本人は何言ったか覚えてないんだけど)そして、その浸透したものが形を変えて、別の誰かに浸透していってくれたら、嬉しいかもしれない。

 

良いチームってなんだろうな…と、日々考えているのですが、

一人の経験、体験が言葉となって他のメンバーへ届き、メンバーの知識になって、また誰かに伝わっていく

そういうチームは素敵なチームだと言えそうです。私は、組織やチームにおける無関心が大嫌いで、同じ目標や目的を持っているのに共有や協力ができない環境に気持ち悪さを覚える性格です。諦めも悪いので、一生懸命言葉を紡ぐし、気づきを与えようとするし、言葉をもらいたいともがき続けてきました。究極のおせっかい笑

職場を3回変えていますが、どこでも同じように過ごしてきました。厄介だと思われることも多々あったけど、こうして時間を置いて素敵な贈り物をもらえているので、往生際が悪いのも案外悪くないかもしれませんね!

半分以上、不正解の仕事

スタートアップに転職してみて物忘れも激しくなってきたので、日記代わりにブログを書こうと思います。 

スタートアップといっても、どのフェーズかで体験も変わってくるのだと思います。
私は、ITツールを開発しているスタートアップの正式なプロダクトローンチ後のタイミングでジョインしており、ビジネスサイド(開発以外の業務請負部署)の立ち上げをやっています。新規事業開発部顔負け、0→1の戦いの最中です。0→1とか書くととてもかっこ良いのですが、簡単に言えば、正解がない仕事しかなく、半分以上、不正解を引きますので、かっこ悪いです。


普通の企業では先人がやってきた仕事があり、それをアレンジしたり改善すればいいわけなんですが、スタートアップの立ち上げ期はそうではありません。この不正解地獄に悩むと、まず続かないです。HOWに正解がないので、とにかく試す、失敗する、学ぶ、また試すの繰り返し。組織の中で誰も正解を知らないから、喧嘩も日常茶飯事です。そういう中で生き残るには、「失敗を恐れない人格」と「失敗を許容する組織文化」があるかなのだと気が付きました。


リーンスタートアップという方法論をご存知でしょうか。私は恥ずかしながら、今の会社に入るまで知りませんでした。必要最低限の製品を出し、ユーザーの声(結果)から軌道修正を図るという工程を高速で繰り返すことで無駄と無価値な要素を最低限に抑えて事業をグロースさせる手法です。
これは個々の業務レベルでも同じなので、失敗から学び(PDCAのC)次の行動をとり、また学ぶことが正解へ繋がる唯一の道となります。この前提が組織に所属する各個人の認識として揃っていると、組織として失敗に対してはポジティブな評価をすることができるようになります。そして、学びの結果であれば(また不正解を引いたとしても)、何をやっても許されるという組織になっていきます。面白いのです。

その代わり、学びの部分は強烈に問われます。何が原因で失敗しているのか、それは内的要因か外的要因か、本当に事実なのか、いま失敗だと判断するベストのタイミングなのか…そして恐らく、スタートアップでの最大の罪は「何もしないこと」です。

 

自分の学びも短期間で圧倒的に増えるので、スタートアップで働くことはおすすめです。自分の変化が、とても面白いと感じられる人には向いています。

リーン・スタートアップ

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